東日本大震災

2478/ 山田町の銭湯の名残

山田町がどんな町だったのか、まったく想像もつかないほど、瓦礫も撤去され、いまはさら地になっています。

走りすぎるだけでは、人の気配もなく、生活の片鱗も感じられませんが、ちょっと立ち寄ってみると、

これまでの暮らしの一端が感じられる遺物に出会います。

110617_1810~01.jpg

曲がりくねった「ひなん路」案内。

道路には「津波浸水想定区域ここまで」という標識が何度もあります。

このあたりは、本当に津波が多い場所なんですね。

110617_1810~01.jpg

3つに折れ曲がった大きな電柱。無残な鉄筋が物語るのは、津波の破壊力、自然の怖さ。

110617_1810~01.jpg

おそらく主を失った家に、そっと飾られた、子供の絵。

110617_1810~01.jpg

そして、お風呂屋さんの店先。

シャッターのゆがみ、下足箱の倒壊、屋号も海に消えて、「湯」の文字だけが読み取れます。

国道45号線からみた、山田町の中心市街。

蔵らしきもの、わずかな建造物が、わびしく残されて、あとはなにもかも片付けられていました。

110617_1810~01.jpg

2477/ 岩手復興食堂へ

震災後から、炊き出しなどのタイミングをはかっていました。

もちろんメンバーがいろんな形でお手伝いしているのですが、協会として何ができるか、どういう形がいいのか模索していました。

110618_1010~01.jpg

そして今回、岩手復興食堂に協力することになりました。

岩手復興食堂とは、地元の人気シンガー松本哲也さんの呼びかけで、

毎週土日、岩手の被災地で開催される音楽と炊き出しの広場です。

盛岡などの飲食店など、たくさんのお店や団体が協力する応援部隊で、

なかなか外部の者が行きにくいエリアにも出かけ、暖かい、かゆいとこに手の届く、意義ある炊き出しを継続している会なのです。

110618_1010~01.jpg

今回の場所は、岩手県下閉伊郡山田町。

宮古と釜石の間にある、2万人足らずの漁業の町ですが、海岸線は美しく、本当に素晴らしい自然豊かな町です。

宮古の人に聞くと、山田町は火事も出て、8割が亡くなったといいます。

そんなところに出かけていって、みなさんに喜んでもらうことができるのでしょうか。

なんとなくの異臭のなか、瓦礫の山を見ながら、整備された道を走りながら、現場を下見にいき、明日のことがちょっと不安な私たちでした。

110618_1010~01.jpg

ギャラリー
  • 2960/ 秀吉の末裔さん&関ジャニ∞さんにフノヤキを!
  • 2959/  粉もんプリンセスのライブツアー最終日
  • 2959/  粉もんプリンセスのライブツアー最終日
  • 2959/  粉もんプリンセスのライブツアー最終日
  • 2959/  粉もんプリンセスのライブツアー最終日
  • 2958/  ジョブチューンで一刀両断‼︎
  • 2958/  ジョブチューンで一刀両断‼︎
  • 2958/  ジョブチューンで一刀両断‼︎
  • 2957/ 蛸半夏生まつり in 道頓堀
日本コナモン協会
アーカイブ
  • ライブドアブログ